2011年4月24日日曜日

「神は乗り越えられる試練しか与えない」

TVドラマ「JIN-仁-」の中のセリフである。
主人公だけでなく、他の登場人物が言うこともあるので、おそらく、キーフレーズなのだろう。
ドラマの中では、困難に直面した時、こう言って励ましたり頑張ったりするのであるが、
神とは?、試練とは?、乗り越えるとは?…などと考えていくと、
解釈次第では、とても重いものになったり、空々しいものになったりする…。
しかし、所詮はバーチャルの世界の一言。
最後は、視聴者の好きなように解釈していいのだと思う。
というわけで、私は、次のように考えている。

例えば、40代男性で、薄毛に悩んでいる人は少なくないと思う。
「薄毛」が試練で、「薄毛でなくなること」が乗り越えることであれば、
いくら努力しても、現実的に乗り越えられない人は沢山いるであろう。
しかし、「薄毛を気に病む」ことが試練で、「気に病まない」ことが乗り越えることとすれば、
何らかの手段で発毛したり、かつらや増毛でカバーしたり、薄毛の事実を受け入れたり…
様々な対応により、気に病まないようにする(=乗り越える)ことは可能であろう。
(これは、企業のリスクコントロールのフレームワークにに通じる)

不幸にして、余命が短いことがわかった場合も似たように考えられる。
近づく「死」が試練で、「死なないこと(死期を延ばすこと)」が乗り越えることなら、
誰もが乗り越えられないだろう。
しかし、誰にもおとずれる「死」を試練と考えず、
「余命が短いことを気に病む」ことが試練で、
「気に病まないで生きる」ことが乗り越えることと考えれば、
短い余生を自分なりにマネジメントすることが、試練を乗り越えることにつながるはずである。

こんな風に考えれば、少しだけ希望がもてそうな気がする。
しかし、試練を与える「神」がいるのであれば、何を考えて試練を与えるのか聞いてみたい。
そして、文句の一つや二つ言ってやりたい…そんな気分である。

グラグラ感が強い状態が昨晩から続いていて、今日は朝から起き上がっていることが辛い。
一時的なもので、症状が進行していないことを願う。

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